川崎の子どもが、「子どもの権利のことを考える仕事(や活動)」をしている人に、どうしてその仕事をしているのか?どんな気持ちでやっているのか?をインタビューするプロジェクトです。インタビューを担当する子どもと同じ世代の子どものみなさんへ、伝えていきます。
川崎市は、日本国内で初めて「子どもの権利」に関する条例を定めた自治体で、たくさんの地域から注目されています。この条例があるので、川崎市には、子どもの権利をまもる活動をしている大人がたくさんいるし、子ども達の意見をきく仕組みがいろいろあります。川崎市内で、ふだん暮らしていると、あまり意識することはないかもしれません。でも、少し意識してみると、先進的なしくみや、場所があることに気付いて、もっと活用できるかもしれません。そして、他の地域の子ども達に、伝えられることもあるのかも!
インタビュー01 山田雅太さん×もかさん
お互いに自己紹介から…
雅太さん:山田雅太と申します。70歳になるお爺さんです。もうずっとね。長いこと子どもの支援とかやってきてるので、これからも変わらないかな。
もかさん:現在高校1年生になりました。JKでございます。雅太さんには、「子どもの権利条約フォーラム2021inかわさき」のときに大変お世話になりました。
Q1.まずは、現在どのような活動をしているのか、教えてください。
今は、教育活動総合サポートセンターというところで、理事長をしています。不登校の子どもたちの支援とか、外国人の子どもたちの支援とか障害のある子の子どもたちの支援、それから1人親家庭の学習支援とか。夜もやってます。
Q2.今までどんなお仕事をされてきたんですか?
私はね、先生が一番目の仕事じゃなくて、最初は建築会社に勤めていました。大工さんと一緒に家建てたり、シャッター取り付けたりサッシを取り付る仕事。でも企業って、利益を上げるために、いろいろお金儲けのためにやらなきゃいけないことがあって、これはあまり向いてないなって思って、半年くらいでやめてしまいました。21~22歳じゃないかな。私、大学は経営学部だったんだけど、お金稼ぐのに向いてなくて(笑)
そのあと、おもちゃメーカーに勤めました。高島屋とかね。小田急百貨店とかのおもちゃ売り場に行って販売するの。おもちゃって面白いでしょ。子どもと繋がりはその頃からだよね。子どもが来て、おじちゃんから買いたいとか、おじいちゃんからあんたからおもちゃ買いたいとか言われて。子どもの話すのがあっていたんですね。子どものおもちゃ会社に入ったっていうのが起点になって子どもとやり取りしてて面白いなと。それが転機かな。
おもちゃ会社にいたのも、1年くらい。子どもの方にビビッときたから、すぐ塾の先生になって。塾の先生のやってる間に、大学の通信教育で勉強して、教員免許状を取りました。通信制の大学って、スクーリングとかあるんだよね。働きながらだから、大変でしたよ。採用試験に先に受かっちゃってさ、なんか絶対免許状取らないとやばいなと思って。一生懸命勉強したよ。一番勉強したかな、そのときが。その時点でもう29歳。だから、同期採用の先生はすごく若くて、5~6歳とか離れていたかな。学校の先生になってから、私はよく苦しいことはひとつもなかったね。今みんな苦しんでるでしょ。私はなんででしょうね。うーん。いい加減だったのかな?天職だったのかな!四つ目の仕事だから。
Q3.子どもの権利に関わるようになったきっかけはなんだったんですか?
人権の研究推進校というのがあるんですよ。たまたまその学校の先生をしていて、研究主任という役割をしたんだけど、その学校の勤務が終わったあとに、教育委員会へ出向になって、人権担当の指導主事になったんです。人権の尊重教育って子どもたちの支援なんで、そこがあってたんでしょうね。担当者としていろんなこと勉強しました。
川崎の先生を連れて、被差別部落を観に行って研修したり。中でも、大阪の「全国水平社歴史館」や、学校教育の中で学べないっていう子が通う「隣保館(りんぽかん)」は印象深い。夜間学習したり。あと、被差別部落の中に、朝鮮人集落があって。もっと貧しい暮らしをしている人たちが一緒に補習していたり、在日韓国朝鮮人の人たちが支える施設があるわけ。川崎でいうふれあい館みたいな施設。教育を受けられない子に、自分で力を自立する力をつけて社会に送り出していくという役割をしているんです。
隣保館(りんぽかん)とは、貧困・教育・差別・環境問題などにより世間一般と比較して劣悪な問題を抱えるとされる地域(スラムや同和地区など)において、その対策を講ずる事の出来る専門知識(教育学や法律に関する知識・社会福祉援助技術など)を持つ者が常駐(住み込む事が理想的であるとされる)し、地域住人に対して適切な援助を行う社会福祉施設。
私はよく学校は最後のセーフティネット(予想される危険やなどの発生にそなえて、被害が起きないようにしたり、影響が小さくなるように準備する制度やしくみ)っていってるんだけど、人権教育は、そこを支える考え方だと思っています。教育って自立するのを助けるような営みだと思うんです。それで、「子どもの権利条例」を作るとなった時に、それじゃ私子ども担当しましょうかということになったわけ。
条例制定の委員会に参加した子どもと、今もつながっているんですよ。大人になってもやってくれて。脈々受け継がれてるんです。「子どもの権利条約フォーラム2021inかわさき」の時に、もかさんが前に出て話してくれた時は、ワーッと思いましたよ!あの感動はちょっと忘れられないくらい素晴らしかったです。
4.「子どもの権利条約フォーラム2021inかわさき」の感想をきかせてください。
反省点としては、子どもの高校生とかの実行委員の皆さんが十分生きたかなっていうところ。子ども達のグループはもうちょっと早くから立ち上げていけばよかった。子ども達と準備段階からもっと話した方がよかったかなと思っています。ただ、その中で中学生年代や小学生年代の子ども達がイキイキとやってくれてたので、それでやってよかったなと思いました。私の心の救いになっています。
やった時期もちょうどよかったんだよね。子ども基本法が作る作られないって、いったりきたりしている時期だったので、大会が終わってから、野田大臣(2021~22年当時子ども家庭庁の準備を担当していた、野田聖子こども政策担当大臣)の座談会に呼ばれたでしょ。いい機会になったなと思いました。それで甲斐田さん(甲斐田万智子先生_文京学院大学教授、C-rights(認定NPO法人国際子ども権利センター理事長)と結びついて、これはやっぱ次のステップになるなと。だからちょうどいい時期にあって、子ども基本法みたいなところに結びついて、今、そんな見方をしています。よく野田大臣のところへ行ってさ、喋ってくれたなと。
もかさん:あのときは何も考えずに言いたいことだけ言ってきたみたいな感じです。
雅太さん:それでいいんです。それができるのがすばらしいんですよね。大人になると、ちょっと気遣って喋っちゃったりするから。
もかさん:確かにあの頃にしかできなかった話をできたかなという気がします。
雅太さん:それでいいんです。それができるのがすばらしいんですよね。大人になると、ちょっと気遣って喋っちゃったりするから。1年間子どもの権利について勉強してたじゃない。はい。それでね、多分それが繋がってんじゃないかなと思って。野田大臣が受けてくれたんじゃないかな。
Q5.「子どもの権利条約フォーラム2021inかわさき」を実施した上で、子どもにみえていない、大人の苦労はどんなところにあったんですか?
大人として何するかっていうと、いろんなところに協力をお願いするんですよ。お金出せるところは出してね。お金がないと交通費をだせない。交通費の確保、子ども特に子どもたちのね。あと、保険とか。やっぱり何かやるにお金かかる。会場借りたり。そういうお金集めたこととかね。それは大人じゃないと見えないから、本を作って売ったり。PTAが協力してくれたりとか。みんな協力してくれたので、やりきることができました。
Q6. 教育活動総合サポートセンターについて、もう少し教えてください
雅太さん:ここは不登校の子ども支援中心。スタッフの給料を十分に出せないので、大変なんです。いろんなとこの委託事業や寄付金を集めたりしながら運営しています。自分たちも寄付金を出すんだよね。気持ちだけ自動的に20年続いています。ここに来る子は、過敏な子が多いんです。夢パークはフリースペースで、みんなでいるでしょ。いろんな子たちがわちゃわちゃいる環境が駄目っていう子、一対一で、何やる?なんて言いながら学習するのがあっていて、落ち着いてやりたいっていう子が来ます。不登校っていろんなタイプの子がいるんです。
もかさん:こういう場所がある子どもたちって羨ましいなって思います。私も特性を持っている子どもの1人であり、学校に行きたくない時期を何度もあの過ごしながら、結局学校にずっと通ってるんですけど、でも、不登校になったときにサポートしてくれる場があるっていうのは心強い。本当に学校が駄目でも、こういう場所があるから大丈夫だと思って、だから安心して学校に行ける。学校で何かあっても、終わりじゃないと思えるから、学校に行けるという気持ちもあるので、すごくありがたいなとおもう。やっぱこういう場所が子どもの権利の最先端だよねって気がします。
Q7.今後の川崎市をどうしていきたい、とか、未来への展望はありますか?
もかさん:自分は、フォーラムの時は中学2年生で、今高校生になったんですが、でもやっぱり自分の内面的な部分が変わってきて。中学校のときに見えたものが見えなくなって、逆に、高校に入って見えてなかったものが見えてくる。だんだんそういうグラデーションの状態だなという感じがしています。雅太さんとお話して、何か川崎大会の当時のときの自分の価値観とか勢いを思いだしました。
雅太さん:これからの川崎への、個人の思いだけどね。今年(2023年度)、すごい動きがあったの。子どもの権利に関する教員の研修が、「かわさき子どもの権利条例」制定22年目でようやく始まったんだよね。希望研修で、子どもの権利学習を勉強したいっていう先生があつまってくれて、みんな熱心に子どもの権利のうちの学校だったらこうやるっていう検討してくれて。今までそういうことって、なかったんです。教育委員会から、権利学習の資料と手引き書は、学校に送られるんだけど、うまく現場で使われていない。2021年のフォーラムで、私と市役所の職員さんが一緒の分科会をもったことがきっかけで、これからちゃんと教員研修をやっていかないといけないという話をして。それが活きてきて、小中高、特別支援学校の先生方が、集まる研修になりました。これは可能性があるなと思っています!先生方に伝える、ということをしていきたいです。
子どもの権利だけじゃなくて、どんな勉強も、学習しないとわかんないんだよね。だから同じなんだよ、僕から見ると、セクハラとか、女性の権利とか、困窮している家庭の子どもたちの問題も。「自分が声を上げていいんだ」って思わないと、変わってこない。「私はこういうことやりたい」、「こうやって生きていきたいと思います」といえる権限を持っていることを知ってもらいたい。ヤングケアラーとか、新しい言葉で出てきてるじゃない。でも、困窮家庭の家の問題って昔からあるの。貧困で働いてるとかさ、1人家に置いてかれてるとかさ。それはいつの時代でもあったの。教員としてはサポートするのは当たり前で、この子は、学習より何より、夏休みになったら食えねだろうなとかさ。そういうのを気にかけるのが、私は教員魂だと思うんです。そういうことを、先生方にも校長先生にも伝えてきました。
子どもを将来、生涯にわたって守っていく。自分で自分のことを守っていけるような子どもを育てるというのも、大事な子どもの権利な気がします。自分で声を上げるっていうね。ようやくテレビでもさ、女性の問題とかいろいろね。日本の中でも世界の中でも、子どもたちの教育を受ける権利とかさ、幸せに自分の道を生きるとかさ、そういうものを保障していくような社会になってほしいなって思っています。
Q8.最後の質問です。「虹色の未来」ってどんな未来だとおもいますか?
雅太さん:「イキイキ笑顔で皆が生きる社会」がいいな、とよく言われるけど、そのために必要なことってね、できることを磨いていくってことだと思います。自分にも言い聞かせてます。自分が苦手なことで不安になるんだけど、自分のできることに変えていけばいいんじゃない。だから苦手なことで不安ならない。それができなくても、大丈夫だから。それを認められるような生き方をしていくと、他者を批判しないでもいいし、自分を卑下しないでもいいし、そういう世の中であったらいいな。だから、もう自分のテーマは「1人1人の違いが豊かさとして響き合って良さとして響き合う」だね。
もかさん:どうもありがとうございます。とても素敵な未来だと思います!
雅太さん:はい。やるしかありません。基本的にはそれを押し付けないということが、もう片方で大切なことです。押し付けると間違っちゃうので。これは私の考えどうですか。私も叩かれるのはいやなのでやめてもらえませんか?という風に。私の中1の孫は、塾に行かないで、「じじ塾」に来てくれて、一緒に勉強するんだけど。「わかんない」っていうと、いいよわかんなくってとかいって言っちゃうんだよ。
もかさん:お孫さんもその包容力に救われてると思います。学校だとわかんないと駄目って言われますからね。こういうのはわかんない人間で、こういうのがわかる人間なんだってことがわかればいいってことですよね。
雅太さん:そうそう。わからないことがわかるだけでいい。わかってきた方向に行けばいい。そういうことです。私なんか、社会人になってもいろいろ迷って生きてたでしょ。これは自分に一番合ってるかなって生き方見つけるまでは、迷うんじゃない?でも、何とかなるから。自信持ってきてほしいなと。そのための子どもの権利学習です。
もかさん:子どもの権利学習を、子どものときからわかってたら、苦しむ大人にならなくて、これでいいんだと。勇気づけられて、力づけられて育ってもらって。
雅太さん:ここに来てる子も大事だし、もっと自信もって自由に生きて、勉強しにここまで来るんだって、大したことですよ。やりたいとと思わないと続かないから。もうそろそろやめようかなと思うんだけど、新しい子どもたちがどんどん出てくるのを見たら、嬉しくて、楽しいからやめられないね。何かやりたいことがあったら、大人に相談してみて。きっとできます。楽しそうじゃん!
インタビュー:2023年8月18日 川崎市教育総合サポートセンターにて 記録・編集:大城 英理子
Comments